今頃になって書くのは、遅すぎて恥ずかしいけれど、すごくいいお話なので、このブログにも記しておきたい。
カルテの余白に 氷上の復活劇に感謝
けがから復帰し、活躍するトップアスリートたちの姿は見る者の心を打つ。
数多くの復活劇にかかわってきた社会保険京都病院(京都市北区)の原邦夫・スポーツ整形外科センター長(56)にとって、バンクーバー冬季五輪(カナダ・2010年)のフィギュアスケート男子で、日本初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手(関大大学院)も忘れられない患者の一人だ。
高橋の弱音を叱る
高橋選手」は08年10月、練習中に利き足の右膝前十字靭帯を断絶、内側半月版も損傷し、同年11月に原さんの手術を受けた。五輪までの残りの期間は1年半を切っていた
フィギュアの選手を診るのは初めてだったので、ひざにどんな負担がかかるのかわかりませんでした。「左足で着地できないのか」と聞くと「そんなこと絶対に出来ない」と言う。利き足でジャンプし、着地することも知りませんでした。
ただ、手術前の高橋君は関節の稼動域が狭く、筋力もそれほど強くない。アスリートとしては未完成な体でした。手術後のリハビリで弱点を徹底的に鍛えれば、けがをする前よりも体は強くなる可能性はあると感じました。
けがから1年後、国内復帰初戦のNHK杯で高橋選手はジャンプ後に尻もちをつくなどミスが続き、4位に終わる
「見に来てほしい」と言われたので、車で5時間かけて長野県の会場まで行ったのですが・・・。高橋君も落ち込んでいたのでしょう。「もっと楽しくやりたい」などと漏らしたんです。叱り付けました。
「そういうことはアスリートとしてやれることを全部成し遂げた、1番のなって当然の人がいうことや。満足に競技復帰もしていない君が言うのは絶対に間違っている」と。それ以降、弱音は一切吐かなかった。
すごく感心したのは、成績が振るわない状態が続いても「ひざの調子が悪いから」とは一度も言わなかったことです。普通ならけがのせいにしたくなるんですが、そういう言い訳をしませんでした。
バンクーバー五輪出場を果たした高橋選手は、ひざに負担のかかるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を、疲れてくる演技のお後半に決めた。小刻みなステップは世界一とも称され、攻める姿勢を貫いて表彰台にたった
休みを取って現地まで応援に行きました。自分が手術した選手が復帰のシーズンに五輪に出るなんてめったにない。
個人競技のフィギュアはサッカーのように他の選手にフォローしてもらうことができないし、けがをした時と同じ動作を繰り返すわけです。高橋君を応援するというより「僕の手術したひざよ、がんばってくれ」という祈るような気持ちでした。
4回転ジャンプを失敗しても調子を崩さず、最後まで滑りきってくれたときにはホッとしました。
さらに1ヵ月後の世界選手権では日本人男子では初めての優勝も果たしてくれました。
手術前を上回る成績で、僕らの治療が正しかったことを証明してくれたんです。
僕らを信頼してつらいリハビリにも耐え、やり遂げてくれた。「感謝」という言葉しかありません。
手術はスタート地点
原さんは2日に1度の割合で、様々な種目の選手の手術を行いながら、年に2ヶ月はサッカー女子日本代表のなでしこジャパンなどに同行し、チームドクターとして選手のケアを担っている
厳しいリハビリによる痛みで、病室でひそかに涙すを流す選手の姿を見てきました。いくら上手に手術しても、それだけでは絶対に治りません。
手術はあくまで競技復帰へ向けたスタート地点。選手が本来のパフォーマンスを発揮するというゴールに辿り着くには、苦しいリハビリに耐え、「絶対治すんだ」という自身の強い気持ちが不可欠です。これからもそうした選手の力になっていきます。
素晴らしいお話だったので、そのまま全部書きました。
大ちゃん復活の影に、こんな素晴らしいお医者さまとの出会いがあったんですね~
原先生は大ちゃんの特集に少しだけ紹介されていたけれど、初めて治療側から見た大ちゃんの様子がとても興味深かった。
かなりのリハビリだったんだ~ 逃げ出したこともあったというのは有名な話になってしまったけど、お医者さまが「つらいリハビリ」というのだから、想像を絶する痛みなのでしょう。
それを乗り越えた大ちゃん! 顔つきが変わった訳が、強くなった訳が、大人になった訳が、改めてわかった気がした。
原先生との出会いも大ちゃんにとって不可欠なもの。
大ちゃん!あなたは、本当に運が強いです! それもあなたの力です!
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