私は娘が通ってる高校で学年委員をさせていただいている。
そう、やっていたのではない、させていただいていたのだ。
娘は、真面目で優しい子で(親ばか)、とてもナイーブ・・・高校に入学した時、なんとなく心配になり、学校に来る機会の多い役員になろうと思って、先生がたと交流が多い学年委員を希望した。
予感は的中し、色々あった高校生活だった。 でも、好きなバスケットボール部に入り、友達にも恵まれ、楽しいことも、つらいこともあったけど、充実した3年間だったと思う。
なんといっても、先生方が暖かく娘を見守り、娘の可能性を信じていてくださった。担任、顧問の先生はもちろん、他の先生方も・・・ほんとに感謝しています。
他の高校だったら、もたなかったかも・・・
高校の役員は3年間変わらない。長いと思ったけど、あっという間だった。
委員会以外に、バラ農園に行ったり、農家に採れたて野菜を買いに行ったり、ランチに行ったり・・・
楽しく過ごさせてもらった。
何よりも、役員のママ達との出会い。 この先ずっとお付き合いしていきたい方ばかり・・・
娘のことで悩んでいる時も、励まし、慰め、一緒にないてくれちゃったりして・・・
以前書いたが、私は料理が好き! お菓子、パン作りも。
3年間委員会の時は、ケーキやパンを作って持って行った。 頼まれたわけではなく、一方的に・・・(苦笑)
私や娘を暖かく見守っていてくれた役員の方への私からの感謝の気持。
「美味しいと」言って微笑んでくれる皆さんの顔が見たくて・・・そんなお顔を見ると、自分に自信が持てたから・・・自分のために作っていた。
8日に最後の委員会があった。 レモンケーキを焼いていった。作りながら、「これが、最後か」
と思って、感慨深かった。
「ずっと、おやつを作ってくれてありがとう。おかげで役員会も楽しかった。」と皆さん、言ってくださって・・・
こちらこそ、ありがとう。 おかげで私も、娘同様、3年間気持ちが切れずに頑張れました。
卒業後もよろしくお願いします。
2012年2月10日金曜日
2012年2月7日火曜日
ローザンヌ国際バレエコンクール 日本の17歳菅井円加さん、優勝!
日本バレエ界でも、若手が快挙!
厚木市在住の女子高生ががんばった~!
同じ神奈川県民として心から拍手を送ります。
羽生君、錦織君、辻井君・・・最近、日本の各分野の才能が世界に認められて嬉しいですね♪
私が学生の頃は、海外留学生がコンクールで入賞、優勝することはあったけど、日本だけでレッスンをつんでというのは、なかなか出来なかったような・・・
日本の先生方の努力が実ってきたんでしょうか。。。 先生方も大変な道のりを経ていらしたのでしょうね。
私も「人に教える」仕事をしてきたので、育てるということが、どれだけの努力と忍耐が必要か、時には自分の家族より優先しなくてはならない・・・
生徒の快挙は先生の快挙でもあります。
長年指導してらした、先生にも心からの賛辞を送ります。
厚木市在住の女子高生ががんばった~!
同じ神奈川県民として心から拍手を送ります。
羽生君、錦織君、辻井君・・・最近、日本の各分野の才能が世界に認められて嬉しいですね♪
私が学生の頃は、海外留学生がコンクールで入賞、優勝することはあったけど、日本だけでレッスンをつんでというのは、なかなか出来なかったような・・・
日本の先生方の努力が実ってきたんでしょうか。。。 先生方も大変な道のりを経ていらしたのでしょうね。
私も「人に教える」仕事をしてきたので、育てるということが、どれだけの努力と忍耐が必要か、時には自分の家族より優先しなくてはならない・・・
生徒の快挙は先生の快挙でもあります。
長年指導してらした、先生にも心からの賛辞を送ります。
2012年2月6日月曜日
原先生のコラム
今頃になって書くのは、遅すぎて恥ずかしいけれど、すごくいいお話なので、このブログにも記しておきたい。
カルテの余白に 氷上の復活劇に感謝
けがから復帰し、活躍するトップアスリートたちの姿は見る者の心を打つ。
数多くの復活劇にかかわってきた社会保険京都病院(京都市北区)の原邦夫・スポーツ整形外科センター長(56)にとって、バンクーバー冬季五輪(カナダ・2010年)のフィギュアスケート男子で、日本初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手(関大大学院)も忘れられない患者の一人だ。
高橋の弱音を叱る
高橋選手」は08年10月、練習中に利き足の右膝前十字靭帯を断絶、内側半月版も損傷し、同年11月に原さんの手術を受けた。五輪までの残りの期間は1年半を切っていた
フィギュアの選手を診るのは初めてだったので、ひざにどんな負担がかかるのかわかりませんでした。「左足で着地できないのか」と聞くと「そんなこと絶対に出来ない」と言う。利き足でジャンプし、着地することも知りませんでした。
ただ、手術前の高橋君は関節の稼動域が狭く、筋力もそれほど強くない。アスリートとしては未完成な体でした。手術後のリハビリで弱点を徹底的に鍛えれば、けがをする前よりも体は強くなる可能性はあると感じました。
けがから1年後、国内復帰初戦のNHK杯で高橋選手はジャンプ後に尻もちをつくなどミスが続き、4位に終わる
「見に来てほしい」と言われたので、車で5時間かけて長野県の会場まで行ったのですが・・・。高橋君も落ち込んでいたのでしょう。「もっと楽しくやりたい」などと漏らしたんです。叱り付けました。
「そういうことはアスリートとしてやれることを全部成し遂げた、1番のなって当然の人がいうことや。満足に競技復帰もしていない君が言うのは絶対に間違っている」と。それ以降、弱音は一切吐かなかった。
すごく感心したのは、成績が振るわない状態が続いても「ひざの調子が悪いから」とは一度も言わなかったことです。普通ならけがのせいにしたくなるんですが、そういう言い訳をしませんでした。
バンクーバー五輪出場を果たした高橋選手は、ひざに負担のかかるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を、疲れてくる演技のお後半に決めた。小刻みなステップは世界一とも称され、攻める姿勢を貫いて表彰台にたった
休みを取って現地まで応援に行きました。自分が手術した選手が復帰のシーズンに五輪に出るなんてめったにない。
個人競技のフィギュアはサッカーのように他の選手にフォローしてもらうことができないし、けがをした時と同じ動作を繰り返すわけです。高橋君を応援するというより「僕の手術したひざよ、がんばってくれ」という祈るような気持ちでした。
4回転ジャンプを失敗しても調子を崩さず、最後まで滑りきってくれたときにはホッとしました。
さらに1ヵ月後の世界選手権では日本人男子では初めての優勝も果たしてくれました。
手術前を上回る成績で、僕らの治療が正しかったことを証明してくれたんです。
僕らを信頼してつらいリハビリにも耐え、やり遂げてくれた。「感謝」という言葉しかありません。
手術はスタート地点
原さんは2日に1度の割合で、様々な種目の選手の手術を行いながら、年に2ヶ月はサッカー女子日本代表のなでしこジャパンなどに同行し、チームドクターとして選手のケアを担っている
厳しいリハビリによる痛みで、病室でひそかに涙すを流す選手の姿を見てきました。いくら上手に手術しても、それだけでは絶対に治りません。
手術はあくまで競技復帰へ向けたスタート地点。選手が本来のパフォーマンスを発揮するというゴールに辿り着くには、苦しいリハビリに耐え、「絶対治すんだ」という自身の強い気持ちが不可欠です。これからもそうした選手の力になっていきます。
素晴らしいお話だったので、そのまま全部書きました。
大ちゃん復活の影に、こんな素晴らしいお医者さまとの出会いがあったんですね~
原先生は大ちゃんの特集に少しだけ紹介されていたけれど、初めて治療側から見た大ちゃんの様子がとても興味深かった。
かなりのリハビリだったんだ~ 逃げ出したこともあったというのは有名な話になってしまったけど、お医者さまが「つらいリハビリ」というのだから、想像を絶する痛みなのでしょう。
それを乗り越えた大ちゃん! 顔つきが変わった訳が、強くなった訳が、大人になった訳が、改めてわかった気がした。
原先生との出会いも大ちゃんにとって不可欠なもの。
大ちゃん!あなたは、本当に運が強いです! それもあなたの力です!
カルテの余白に 氷上の復活劇に感謝
けがから復帰し、活躍するトップアスリートたちの姿は見る者の心を打つ。
数多くの復活劇にかかわってきた社会保険京都病院(京都市北区)の原邦夫・スポーツ整形外科センター長(56)にとって、バンクーバー冬季五輪(カナダ・2010年)のフィギュアスケート男子で、日本初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手(関大大学院)も忘れられない患者の一人だ。
高橋の弱音を叱る
高橋選手」は08年10月、練習中に利き足の右膝前十字靭帯を断絶、内側半月版も損傷し、同年11月に原さんの手術を受けた。五輪までの残りの期間は1年半を切っていた
フィギュアの選手を診るのは初めてだったので、ひざにどんな負担がかかるのかわかりませんでした。「左足で着地できないのか」と聞くと「そんなこと絶対に出来ない」と言う。利き足でジャンプし、着地することも知りませんでした。
ただ、手術前の高橋君は関節の稼動域が狭く、筋力もそれほど強くない。アスリートとしては未完成な体でした。手術後のリハビリで弱点を徹底的に鍛えれば、けがをする前よりも体は強くなる可能性はあると感じました。
けがから1年後、国内復帰初戦のNHK杯で高橋選手はジャンプ後に尻もちをつくなどミスが続き、4位に終わる
「見に来てほしい」と言われたので、車で5時間かけて長野県の会場まで行ったのですが・・・。高橋君も落ち込んでいたのでしょう。「もっと楽しくやりたい」などと漏らしたんです。叱り付けました。
「そういうことはアスリートとしてやれることを全部成し遂げた、1番のなって当然の人がいうことや。満足に競技復帰もしていない君が言うのは絶対に間違っている」と。それ以降、弱音は一切吐かなかった。
すごく感心したのは、成績が振るわない状態が続いても「ひざの調子が悪いから」とは一度も言わなかったことです。普通ならけがのせいにしたくなるんですが、そういう言い訳をしませんでした。
バンクーバー五輪出場を果たした高橋選手は、ひざに負担のかかるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を、疲れてくる演技のお後半に決めた。小刻みなステップは世界一とも称され、攻める姿勢を貫いて表彰台にたった
休みを取って現地まで応援に行きました。自分が手術した選手が復帰のシーズンに五輪に出るなんてめったにない。
個人競技のフィギュアはサッカーのように他の選手にフォローしてもらうことができないし、けがをした時と同じ動作を繰り返すわけです。高橋君を応援するというより「僕の手術したひざよ、がんばってくれ」という祈るような気持ちでした。
4回転ジャンプを失敗しても調子を崩さず、最後まで滑りきってくれたときにはホッとしました。
さらに1ヵ月後の世界選手権では日本人男子では初めての優勝も果たしてくれました。
手術前を上回る成績で、僕らの治療が正しかったことを証明してくれたんです。
僕らを信頼してつらいリハビリにも耐え、やり遂げてくれた。「感謝」という言葉しかありません。
手術はスタート地点
原さんは2日に1度の割合で、様々な種目の選手の手術を行いながら、年に2ヶ月はサッカー女子日本代表のなでしこジャパンなどに同行し、チームドクターとして選手のケアを担っている
厳しいリハビリによる痛みで、病室でひそかに涙すを流す選手の姿を見てきました。いくら上手に手術しても、それだけでは絶対に治りません。
手術はあくまで競技復帰へ向けたスタート地点。選手が本来のパフォーマンスを発揮するというゴールに辿り着くには、苦しいリハビリに耐え、「絶対治すんだ」という自身の強い気持ちが不可欠です。これからもそうした選手の力になっていきます。
素晴らしいお話だったので、そのまま全部書きました。
大ちゃん復活の影に、こんな素晴らしいお医者さまとの出会いがあったんですね~
原先生は大ちゃんの特集に少しだけ紹介されていたけれど、初めて治療側から見た大ちゃんの様子がとても興味深かった。
かなりのリハビリだったんだ~ 逃げ出したこともあったというのは有名な話になってしまったけど、お医者さまが「つらいリハビリ」というのだから、想像を絶する痛みなのでしょう。
それを乗り越えた大ちゃん! 顔つきが変わった訳が、強くなった訳が、大人になった訳が、改めてわかった気がした。
原先生との出会いも大ちゃんにとって不可欠なもの。
大ちゃん!あなたは、本当に運が強いです! それもあなたの力です!
2012年2月5日日曜日
決戦!始まる!
フィギュアの四大陸、世界選手権と、決戦が迫ってきてますが、今回の決戦は・・・
我が娘の大学受験!
とうとう当日になってしまった~ 今頃は終わっている頃かな。
大学受験は期間が長い。体調管理に気を使う。 食べ物、睡眠、部屋の乾燥、願掛け、親に出来ることはこのくらい・・・
娘は大手予備校には行かず、学校の模試と中学からお世話になっている個人塾に通って頑張ってきた。勉強する場所は我が家のリビングと私の仕事部屋だったレッスン室。
レッスン室は静かなので、勉強には向いているのだが、エアコンの暖房機能が壊れていて、めちゃくちゃ寒い! 電気ストーブ(かなり強力なヤツ)は置いてあるけど、この冬の寒さにはきかないみたい(苦笑)
自分や家族の状況で、家の部屋を使いわけていたようだ。
自分の部屋(寝るだけ)
レッスン室(眠くなると、眼を覚ます為に使う)、
リビング(家族がいないときに使う)
自分なりに工夫をして、頑張ってきたのだから、うまくいってほしい。
努力が報われますように・・・
親はただ祈ることしかできない~
でもでも、そんなわけで家中の部屋が散らかり放題~~~!
「お願い、終わるまでさわんないで!」と言われているので・・・
眼をつむっている。。。
はやく掃除したい・・・
でも、とにかくがんばれ!
我が娘の大学受験!
とうとう当日になってしまった~ 今頃は終わっている頃かな。
大学受験は期間が長い。体調管理に気を使う。 食べ物、睡眠、部屋の乾燥、願掛け、親に出来ることはこのくらい・・・
娘は大手予備校には行かず、学校の模試と中学からお世話になっている個人塾に通って頑張ってきた。勉強する場所は我が家のリビングと私の仕事部屋だったレッスン室。
レッスン室は静かなので、勉強には向いているのだが、エアコンの暖房機能が壊れていて、めちゃくちゃ寒い! 電気ストーブ(かなり強力なヤツ)は置いてあるけど、この冬の寒さにはきかないみたい(苦笑)
自分や家族の状況で、家の部屋を使いわけていたようだ。
自分の部屋(寝るだけ)
レッスン室(眠くなると、眼を覚ます為に使う)、
リビング(家族がいないときに使う)
自分なりに工夫をして、頑張ってきたのだから、うまくいってほしい。
努力が報われますように・・・
親はただ祈ることしかできない~
でもでも、そんなわけで家中の部屋が散らかり放題~~~!
「お願い、終わるまでさわんないで!」と言われているので・・・
眼をつむっている。。。
はやく掃除したい・・・
でも、とにかくがんばれ!
2012年2月4日土曜日
オペラ鑑賞 2
先日(2日)、元生徒さんのNさん宅にお邪魔した。 オペラのDVD鑑賞に・・・
すごく楽しみにしていた♪
プッチーニ作曲 「トスカ」
トスカ ヒルデガルト・へーレンス
カヴァラドッシ プラシド・ドミンゴ
スカルピア ローネル・マクニール
教会堂守 イタロ・ターヨ
指揮 ジョゼッペ・シノーポリ
演出 フランコ・ゼッフィレッリ
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
1985年 公演
あまりにも有名なオペラ。
私は、ドミンゴ&カヴァイヤンスカのLD(古い!)を持っていてよく見ていた。
それは映画仕立てで、美しいイタリアの教会を使っていた。
1975年の撮影だから、ドミンゴが35歳くらいか。カヴァイヤンスカが40歳くらい。
まあ、ドミンゴの抜群の歌唱力と演技力、カヴァイヤンスカの美しさにやられた。
オペラの魅力にはまった作品でもある。
今回、観させていただいたのは、プリマドンナがヒルデガルト・へーレンスというドイツのドラマチック・ソプラノ。
眼のくりっとした可愛らしいプリマ。ドミンゴ(当時44歳)より年上。 なかなかの体格の方だ。
声はどっしりとして、迫力のあるソプラノ。聴いていて安心感がある。
ドミンゴは相変わらずの響きわたる甘い声でうっとりする。35歳のときよりお腹周りが太くなったみたいだけど・・・
ゼッフィレッリの演出は細かいところまで凝っていて、すごく豪華。みているものをしばし夢の世界へいざなってくれる。
悪役スカルピアは、メイクといい、お顔といい、傲慢さ、いやらしさがすごくでていて、「やなやつ!」
と思ってしまう・・・役者の勝ち!
「たえなる調和」「私のうちへ」「歌に生き、恋に生き」「星はきらめき」
どれをとっても美しいアリア・・・どれも大好き。
しかしトスカのヤキモチ焼きは・・・異常だな~(笑)
Nさんはいつもお一人でオペラ専用のお部屋で楽しんでいらしゃるのだが、「ひとりより楽しいです~」なんて言って下さった。 よかった~ ご主人は別室で、趣味の絵画にいそしまれている。
来月もよろしくお願いします~
すごく楽しみにしていた♪
プッチーニ作曲 「トスカ」
トスカ ヒルデガルト・へーレンス
カヴァラドッシ プラシド・ドミンゴ
スカルピア ローネル・マクニール
教会堂守 イタロ・ターヨ
指揮 ジョゼッペ・シノーポリ
演出 フランコ・ゼッフィレッリ
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
1985年 公演
あまりにも有名なオペラ。
私は、ドミンゴ&カヴァイヤンスカのLD(古い!)を持っていてよく見ていた。
それは映画仕立てで、美しいイタリアの教会を使っていた。
1975年の撮影だから、ドミンゴが35歳くらいか。カヴァイヤンスカが40歳くらい。
まあ、ドミンゴの抜群の歌唱力と演技力、カヴァイヤンスカの美しさにやられた。
オペラの魅力にはまった作品でもある。
今回、観させていただいたのは、プリマドンナがヒルデガルト・へーレンスというドイツのドラマチック・ソプラノ。
眼のくりっとした可愛らしいプリマ。ドミンゴ(当時44歳)より年上。 なかなかの体格の方だ。
声はどっしりとして、迫力のあるソプラノ。聴いていて安心感がある。
ドミンゴは相変わらずの響きわたる甘い声でうっとりする。35歳のときよりお腹周りが太くなったみたいだけど・・・
ゼッフィレッリの演出は細かいところまで凝っていて、すごく豪華。みているものをしばし夢の世界へいざなってくれる。
悪役スカルピアは、メイクといい、お顔といい、傲慢さ、いやらしさがすごくでていて、「やなやつ!」
と思ってしまう・・・役者の勝ち!
「たえなる調和」「私のうちへ」「歌に生き、恋に生き」「星はきらめき」
どれをとっても美しいアリア・・・どれも大好き。
しかしトスカのヤキモチ焼きは・・・異常だな~(笑)
Nさんはいつもお一人でオペラ専用のお部屋で楽しんでいらしゃるのだが、「ひとりより楽しいです~」なんて言って下さった。 よかった~ ご主人は別室で、趣味の絵画にいそしまれている。
来月もよろしくお願いします~
2012年2月1日水曜日
大ちゃん記事、まだ続きです~♪
27日 読売新聞 挑む 下
「恩師の涙 ソチで目指す」
2014年ソチオリンピックで引退。 あと2年あまり・・・
「終わりが決まっていると、時間がたつのがはやい。」しみじみと語る横顔に充実感がにじむ。
長光歌子コーチは出会った頃から、世界で戦える器だと確信、自宅に預かり、大切に育てた。
「人の為に滑るのはもういい。私はもう充分、恩返ししてもらったから、これからは自分のためにすべればいいよ。」
バンクーバーで表彰台にあがり、翌月の世界選手権では金メダルを手にした。
昨年の世界選手権では、5位。 引き際を考えていた時の完敗。
「このままでは終われない。」
同世代の選手は次々引退。若手は軽々4回転を飛んでくる。
そんな厳しいなかでも、自分の可能性にかける。 完全燃焼するためソチまでの3年間と区切り、
五輪後の引退を決めた。 一人で決めた。
「五輪に出られなくても、メダルが取れなくてもいい。やりきったと納得できる過ごし方をしたい。」
「僕の演技で歌子先生を泣かせたい。」
恩師との二人三脚もフィナーレが近ずいてきた。 納得のいく準備をしてソチのリンクに立ったとき、約束は果たせる。
大ちゃんと歌子先生・・・運命の出会いですね~ 歌子先生なくして今の高橋大輔は存在しない。
それだけ大きな存在。世界への扉へ導いてくれた人・・・
大ちゃんが引退した後も絆は続いていくんでしょうね。
お願い、時間よ、ゆっくり進んでおくれ・・・
3日間連続のこの記事は嬉しかった。 うちは朝日だけど、母が読売なので、しっかり拝借。
もちろん、スクラップで永久保存!
「恩師の涙 ソチで目指す」
2014年ソチオリンピックで引退。 あと2年あまり・・・
「終わりが決まっていると、時間がたつのがはやい。」しみじみと語る横顔に充実感がにじむ。
長光歌子コーチは出会った頃から、世界で戦える器だと確信、自宅に預かり、大切に育てた。
「人の為に滑るのはもういい。私はもう充分、恩返ししてもらったから、これからは自分のためにすべればいいよ。」
バンクーバーで表彰台にあがり、翌月の世界選手権では金メダルを手にした。
昨年の世界選手権では、5位。 引き際を考えていた時の完敗。
「このままでは終われない。」
同世代の選手は次々引退。若手は軽々4回転を飛んでくる。
そんな厳しいなかでも、自分の可能性にかける。 完全燃焼するためソチまでの3年間と区切り、
五輪後の引退を決めた。 一人で決めた。
「五輪に出られなくても、メダルが取れなくてもいい。やりきったと納得できる過ごし方をしたい。」
「僕の演技で歌子先生を泣かせたい。」
恩師との二人三脚もフィナーレが近ずいてきた。 納得のいく準備をしてソチのリンクに立ったとき、約束は果たせる。
大ちゃんと歌子先生・・・運命の出会いですね~ 歌子先生なくして今の高橋大輔は存在しない。
それだけ大きな存在。世界への扉へ導いてくれた人・・・
大ちゃんが引退した後も絆は続いていくんでしょうね。
お願い、時間よ、ゆっくり進んでおくれ・・・
3日間連続のこの記事は嬉しかった。 うちは朝日だけど、母が読売なので、しっかり拝借。
もちろん、スクラップで永久保存!
大ちゃん記事、続きです~♪
26日 読売新聞 挑む 中
自信くれた「授かり物」
4人兄弟の末っ子。人見知り、団体生活が苦手、弱虫。
そんな少年は8歳の時フィギュアスケートと出会う。地元の小さなアットホームなリンク。
「遊び感覚で、楽しくて、どんどん好きになった。」
小柄で内気な少年は氷上では、コーチも驚くほど集中して練習に励む。
技術は世界レベルに達しても、メンタルの弱さがついてまわる。
バンクーバーオリンピックの一年半前の2008年、右ひざ靭帯を断絶。過酷なリハビリに気持ちがきれた。
「もう頑張れません。今までありがとうございました。」
コーチに送ったメール。
遺書のようなこの言葉に、コーチは「最悪の事態も考えた。」
ひとり飛び込んだホテルで考えた。 「スケートをやめたら自分に何が残るのか・・・」
一週間後に帰宅した彼にコーチは「辞めてもいいよ。」
その言葉で覚悟が決まった。
バンクーバーオリンピックで銅メダル、直後の世界選手権で金メダル、頂点に立った。
「一生、スケートと関わっていきたい。」
弱かった自分にメダルだけでなく自信を与えてくれたスケートは、 「天からの授かり物」
大ちゃんとフィギュアスケートとの出会いは、ドラマチックですね~ ちっちゃくて、内気な少年がオリンピックメダリスト、世界チャンピオン、世界中のスケーターの憧れになるなんて・・・
フィギュアの神様ありがとう~
自信くれた「授かり物」
4人兄弟の末っ子。人見知り、団体生活が苦手、弱虫。
そんな少年は8歳の時フィギュアスケートと出会う。地元の小さなアットホームなリンク。
「遊び感覚で、楽しくて、どんどん好きになった。」
小柄で内気な少年は氷上では、コーチも驚くほど集中して練習に励む。
技術は世界レベルに達しても、メンタルの弱さがついてまわる。
バンクーバーオリンピックの一年半前の2008年、右ひざ靭帯を断絶。過酷なリハビリに気持ちがきれた。
「もう頑張れません。今までありがとうございました。」
コーチに送ったメール。
遺書のようなこの言葉に、コーチは「最悪の事態も考えた。」
ひとり飛び込んだホテルで考えた。 「スケートをやめたら自分に何が残るのか・・・」
一週間後に帰宅した彼にコーチは「辞めてもいいよ。」
その言葉で覚悟が決まった。
バンクーバーオリンピックで銅メダル、直後の世界選手権で金メダル、頂点に立った。
「一生、スケートと関わっていきたい。」
弱かった自分にメダルだけでなく自信を与えてくれたスケートは、 「天からの授かり物」
大ちゃんとフィギュアスケートとの出会いは、ドラマチックですね~ ちっちゃくて、内気な少年がオリンピックメダリスト、世界チャンピオン、世界中のスケーターの憧れになるなんて・・・
フィギュアの神様ありがとう~
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